放駒部屋の現在は?松ヶ根部屋から続く歴史と名称変更の全貌を徹底解説【2026年】
放駒部屋(はなれごまべや)は、日本相撲協会に所属し、二所ノ関一門に属する大相撲の相撲部屋です。2026年現在、師匠を務めるのは元関脇・玉乃島の18代放駒新。北海道出身の一山本らが所属し、東京都足立区を拠点に力士の育成を続けています。
現在の名称に至るまでには、1990年に元大関・若嶋津が創設した松ヶ根部屋、2014年に名称を変更した二所ノ関部屋という歴史があります。さらに2021年には部屋の継承と年寄名跡の変更が行われ、現在の放駒部屋が誕生しました。実は、かつて元大関・魁傑が率いた同名の放駒部屋も存在しており、系譜を整理すると複数の歴史が見えてきます。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 現在の放駒部屋:二所ノ関一門に所属し、元関脇・玉乃島の18代放駒新が師匠を務める。
- 名称変更の歴史:1990年の松ヶ根部屋創設、2014年の二所ノ関部屋への改称、2021年の放駒部屋への改称という流れをたどっている。
- 2026年の注目点:11月場所の番付では11人が所属し、幕内力士は一山本。部屋の伝統を引き継ぎながら次世代の育成を進めている。
【まず結論】放駒部屋とはどのような相撲部屋なのか?
放駒部屋は、日本相撲協会に登録されている相撲部屋の一つで、所属する一門は二所ノ関一門です。
現在の師匠は18代放駒新(元関脇・玉乃島)。現役時代は片男波部屋に所属し、関脇まで昇進した実績を持ちます。引退後は親方として指導に携わり、2021年12月24日付で二所ノ関部屋を継承しました。
現在の部屋の基本情報は次のとおりです。
- 部屋名:放駒部屋
- 読み方:はなれごまべや
- 所属:日本相撲協会
- 一門:二所ノ関一門
- 師匠:18代放駒新(元関脇・玉乃島)
- 所在地:東京都足立区六町1-1-11
- 現在の部屋名になった日:2021年12月24日
- 創設からの系譜:松ヶ根部屋から続く歴史
ここで押さえておきたいのが、二所ノ関一門と二所ノ関部屋は同じ意味ではないという点です。
一門とは、相撲部屋同士が師弟関係や歴史的なつながりを通じて形成してきた集団です。日本相撲協会の解説でも、一門の起源は地方巡業を共同で行っていた部屋同士の関係にあると説明されています。
つまり、放駒部屋は現在の二所ノ関部屋の内部組織ではありません。二所ノ関一門という同じ系統に属する、独立した相撲部屋です。
また、現在の二所ノ関部屋は元横綱・稀勢の里の二所ノ関親方が率いる部屋です。2021年の名称変更によって、旧二所ノ関部屋と現在の二所ノ関部屋は別の系譜になっています。
【2026年最新】放駒部屋の師匠・所属力士・現在の状況
2026年10月29日時点で確認できる日本相撲協会の公式部屋紹介によると、放駒部屋の師匠は18代放駒新です。
同協会の2026年11月場所の番付では、放駒部屋から11人の力士が番付に掲載されています。幕内から序二段まで幅広い番付に所属力士がいることが特徴です。
師匠・放駒新は元関脇の玉乃島
放駒新の現役時代の四股名は玉乃島です。本名は岡部新、福島県出身で、最高位は関脇でした。
日本相撲協会の年寄プロフィールによると、1998年3月場所に初土俵を踏み、1999年9月場所に新十両、2000年11月場所に新入幕を果たしています。その後、三役まで昇進しました。
主な受賞歴は以下のとおりです。
- 敢闘賞:5回
- 技能賞:1回
- 幕内最高優勝:0回
- 最高位:関脇
2011年11月場所で現役を引退した後、年寄として後進の指導に携わりました。2021年12月には、長く所属していた二所ノ関部屋を継承し、放駒部屋の師匠に就任しています。
2026年11月場所の所属力士
2026年10月26日に発表された11月場所の番付では、放駒部屋の所属力士は次の11人です。
- 幕内:一山本
- 幕下:島津海
- 三段目:結山、北乃庄、松蘭、流馬
- 序二段:跳乃山、道轟、北斗洋、島袋、若一輝
部屋の看板力士として注目されるのが、一山本大生です。北海道岩内町出身で、得意技は突き・押し。2021年7月場所に新入幕を果たし、最高位は前頭筆頭です。
2026年9月場所では西前頭6枚目で4勝11敗となり、11月場所は東前頭12枚目に番付を下げました。それでも幕内の番付を維持しており、部屋を代表する力士として存在感を示しています。
もう一人、注目したいのが島津海です。鹿児島県出身で、2024年1月場所に新入幕を果たした経験があります。2026年11月場所では西幕下26枚目に位置しています。
一山本の幕内での戦いと、島津海をはじめとする幕下以下の力士の成長。この両方が、現在の放駒部屋を見るうえでのポイントです。
【歴史・年表】松ヶ根部屋から二所ノ関部屋、そして放駒部屋へ
放駒部屋の歴史を正確に理解するには、現在の名称だけでなく、前身となった二つの部屋名を時系列で追う必要があります。
現在の部屋の系譜は、元大関・若嶋津が創設した松ヶ根部屋から始まります。その後、年寄名跡の変更によって二所ノ関部屋となり、2021年に放駒部屋へと改称されました。
名称と師匠の変遷をまとめると、次のようになります。
| 時期 | 部屋名・師匠 | 主な出来事 |
|---|---|---|
| 1990年2月 | 松ヶ根部屋 元大関・若嶋津 | 二子山部屋から独立して創設 |
| 1999年3月 | 松ヶ根部屋 | 若孜が初の関取に昇進 |
| 2000年11月 | 松ヶ根部屋 | 若光翔が部屋初の幕内力士となる |
| 2013年1月 | 松ヶ根部屋 | 松鳳山が部屋初の三役・小結に昇進 |
| 2014年12月1日 | 二所ノ関部屋 元大関・若嶋津 | 年寄名跡の変更に伴い改称 |
| 2021年12月24日 | 放駒部屋 元関脇・玉乃島 | 岡部新が部屋を継承し、現在の名称へ変更 |
| 2026年10月 | 放駒部屋 18代放駒新 | 11月場所の番付に所属力士11人が掲載 |
1990年:元大関・若嶋津が松ヶ根部屋を創設
放駒部屋の前身となる松ヶ根部屋が誕生したのは、1990年2月です。
創設者は、現役時代に大関として活躍した若嶋津(本名・日高六男)。1987年7月場所で現役を引退した後、年寄松ヶ根を襲名し、二子山部屋の部屋付き親方として後進の指導に携わっていました。
その後、自ら弟子を育成するために独立。二子山部屋から分家する形で松ヶ根部屋を立ち上げました。
若嶋津は1980年代の大相撲を代表する大関の一人です。日本相撲協会の歴代大関プロフィールによると、幕内最高優勝は2回。1983年1月場所に大関へ昇進し、1984年には14勝1敗と15戦全勝で2度の幕内優勝を記録しています。
この実績を持つ師匠のもとで始まった松ヶ根部屋は、若手力士の育成を進め、1990年代後半から関取を輩出するようになりました。
1999~2013年:若孜・若光翔・松鳳山らが活躍
創設後の大きな節目となったのが1999年3月場所です。この場所で若孜が十両に昇進し、松ヶ根部屋から初めての関取が誕生しました。
2000年11月場所には若光翔が幕内に昇進。さらに春山も十両に昇進し、春ノ山へと改名しました。
その後、部屋からは松鳳山などの力士も台頭します。2013年1月場所には松鳳山が小結に昇進し、部屋初の三役力士となりました。
この時期の実績は、松ヶ根部屋が単に若嶋津の現役時代の知名度に支えられた部屋ではなく、実際に関取や三役力士を育ててきたことを示しています。
【名称変更の経緯】なぜ松ヶ根部屋は二所ノ関部屋になったのか?
2014年12月1日、松ヶ根部屋は二所ノ関部屋へと名称を変更しました。
この変更の直接的な理由は、師匠の若嶋津が年寄松ヶ根から年寄二所ノ関へ襲名したことです。
同時に、当時の年寄二所ノ関だった元幕内・玉力道(本名・安本栄来)が年寄松ヶ根を襲名しました。
日本相撲協会が公表した2014年12月の名跡変更のお知らせにも、若嶋津が二所ノ関を襲名し、玉力道が松ヶ根を襲名したこと、それに伴って松ヶ根部屋が二所ノ関部屋となったことが記録されています。
年寄名跡の交換が部屋名を変えた
相撲界では、親方が引退後に協会員として活動する際、年寄名跡を襲名します。相撲部屋の名称も、その師匠が襲名する年寄名跡に由来するケースがあります。
今回の変更も、その仕組みによるものでした。
- 元大関・若嶋津:年寄松ヶ根から年寄二所ノ関へ
- 元幕内・玉力道:年寄二所ノ関から年寄松ヶ根へ
- 松ヶ根部屋:二所ノ関部屋へ改称
なお、2014年11月24日には、元関脇・玉乃島の放駒親方と元幕内・玉力道の二所ノ関親方が片男波部屋から松ヶ根部屋へ所属変更となっています。
つまり、現在の放駒部屋を率いる玉乃島は、現在の部屋が二所ノ関部屋だった時代から、その組織に関わっていた人物です。
旧二所ノ関部屋の名称復活という意味もあった
2014年の改称には、二所ノ関一門にとっても意味がありました。
2013年1月には、元関脇・金剛が師匠を務めていた旧二所ノ関部屋が閉鎖されています。横綱・大鵬などを輩出した歴史ある部屋だったため、その名称の復活は一門内でも関心を集めました。
2014年11月の日刊スポーツの報道では、二所ノ関一門内で部屋名の復活を望む声があったことが伝えられています。
ただし、2014年に二所ノ関部屋となったのは、松ヶ根部屋の系譜を引き継ぐ組織です。かつて大鵬らを輩出した旧二所ノ関部屋そのものが、組織として復活したわけではありません。
【2021年の転換点】二所ノ関部屋から放駒部屋への継承
2021年12月24日、二所ノ関部屋は放駒部屋へと名称を変更しました。
この変更は、単純な名称変更ではありません。師匠の交代と年寄名跡の継承、そして別の部屋との名称変更が同時に行われた、相撲界における重要な組織再編でした。
元関脇・玉乃島が部屋を継承
日本相撲協会の2021年12月24日付の理事会発表によると、12月2日の理事会で、年寄放駒こと岡部新が、年寄二所ノ関こと日高六男から二所ノ関部屋を継承することが承認されました。
これによって、元関脇・玉乃島が18代放駒を襲名し、部屋の新しい師匠となりました。
一方、若嶋津は年寄二所ノ関から年寄荒磯へと名跡を変更。元横綱・稀勢の里の荒磯親方が年寄二所ノ関を襲名することになりました。
その結果、元稀勢の里が率いていた荒磯部屋は二所ノ関部屋へと名称を変更しました。
2021年に起きた二つの継承を整理
- 旧二所ノ関部屋:元若嶋津から元玉乃島へ継承され、放駒部屋となる。
- 旧荒磯部屋:元稀勢の里が二所ノ関を襲名し、新しい二所ノ関部屋となる。
ここが、検索で混乱しやすい最大のポイントです。
2021年以前の二所ノ関部屋と、2021年以降の二所ノ関部屋は、同じ名称を使用していても師匠と組織の系譜が異なります。
また、日本相撲協会の発表では、旧二所ノ関部屋に所属していた力士や親方、行司、呼出などの転属先も公表されています。一山本、松鳳山、島津海らは放駒部屋への所属となりました。
重要なのは、2021年の変更が単なる看板の掛け替えではなく、師匠と所属員を含めた部屋の継承だったという点です。
【放駒部屋の由来と系譜】魁傑の旧放駒部屋とは別の部屋?
放駒部屋を調べる際、もう一つ注意したいのが、元大関・魁傑が率いていた旧放駒部屋の存在です。
実は、放駒という名称は2021年に初めて使われたものではありません。過去にも同じ名称を持つ相撲部屋が存在していました。
元大関・魁傑が率いた旧放駒部屋
第17代放駒を襲名した元大関・魁傑は、1981年に放駒部屋を創設しました。
この部屋からは、のちに第62代横綱となる大乃国をはじめ、複数の関取が誕生しています。
しかし、旧放駒部屋は2013年2月に閉鎖されました。現在の放駒部屋が、そのまま魁傑の部屋を引き継いだわけではありません。
現在の放駒部屋は、あくまで1990年に若嶋津が創設した松ヶ根部屋を起点とする系譜です。
現在の放駒部屋の名前の由来
現在の部屋名の由来は、師匠である岡部新が襲名した年寄名跡「放駒」です。
2021年12月24日に二所ノ関部屋を継承した際、岡部新が18代放駒を襲名したため、部屋名も放駒部屋へと変更されました。
したがって、「放駒」という名称は現在の師匠の年寄名跡に由来しています。地名や特定の力士の四股名をそのまま部屋名にしたという意味ではありません。
混同しないための系譜の整理
現在の放駒部屋と、過去の同名部屋を区別すると、次のようになります。
- 現在の放駒部屋:1990年の松ヶ根部屋が前身。若嶋津、玉乃島へと師匠が交代。
- 旧放駒部屋:1981年に元大関・魁傑が創設。2013年に閉鎖。
- 現在の二所ノ関部屋:元横綱・稀勢の里が率いる。2021年に旧荒磯部屋から名称変更。
この三つを区別すれば、検索結果で見かける異なる歴史や力士名の情報も整理しやすくなります。
【プロの結論】放駒部屋の歴史から読み解く相撲部屋の継承
放駒部屋の歴史で注目すべきなのは、部屋の名称が変わっても、所属する力士や指導体制、組織の系譜が連続してきたことです。
1990年に松ヶ根部屋として独立してから、若嶋津のもとで若手を育成し、2014年には二所ノ関部屋へ改称。さらに2021年には玉乃島が部屋を継承し、現在の放駒部屋となりました。
この変遷は、相撲部屋における「部屋名」「年寄名跡」「組織の継承」が必ずしも同じものではないことを示しています。
名称よりも師匠と所属員の変遷を見る
相撲部屋の歴史を調べる場合、名称だけを追いかけると誤解が生まれます。
例えば、2014年の二所ノ関部屋への改称と2021年の放駒部屋への改称は、どちらも年寄名跡の変更と関係しています。しかし、2021年には別の荒磯部屋が二所ノ関部屋になったため、現在の名称だけでは過去との関係が分かりにくくなっています。
正確に系譜を判断するには、次の三つを確認することが有効です。
- 創設者:誰が部屋を立ち上げたのか。
- 師匠の交代:誰から誰へ部屋が継承されたのか。
- 所属員の移動:力士や親方がどの部屋へ移籍したのか。
この三点を押さえることで、単なる名称変更と組織の再編を区別できます。
2026年以降の注目は一山本と若手力士の育成
2026年の放駒部屋は、一山本が幕内に所属する一方、島津海や三段目以下の力士たちがそれぞれの番付で競い合う構成です。
一山本は最高位前頭筆頭まで上がった実力者であり、今後の幕内での巻き返しが注目されます。また、過去に新入幕を果たした島津海が再び関取へ戻れるかも、部屋の競技面での見どころです。
現在の師匠・放駒新自身も、関脇まで昇進した経験を持ちます。現役時代に培った相撲経験を、所属力士の指導にどう生かしていくのかが今後の焦点です。
部屋の評価を幕内力士の人数だけで判断するのではなく、幕下以下の力士がどれだけ成長し、関取へ昇進できるかにも注目したいところです。
【放駒部屋】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:放駒部屋は現在も存在していますか?
A1:はい。2026年現在も日本相撲協会に所属する現役の相撲部屋です。東京都足立区六町にあり、元関脇・玉乃島の18代放駒新が師匠を務めています。
Q2:放駒部屋の前身は何ですか?
A2:1990年に元大関・若嶋津が創設した松ヶ根部屋です。2014年12月1日に二所ノ関部屋へ改称され、2021年12月24日に放駒部屋となりました。
Q3:松ヶ根部屋と二所ノ関部屋は同じ部屋ですか?
A3:2014年から2021年までの二所ノ関部屋は、松ヶ根部屋から名称を変更した同じ組織です。年寄名跡の変更に伴って部屋名が変わりました。
Q4:現在の二所ノ関部屋と放駒部屋はどのような関係ですか?
A4:どちらも二所ノ関一門に所属しています。2021年に旧二所ノ関部屋を元玉乃島が継承して放駒部屋となり、元稀勢の里が旧荒磯部屋を二所ノ関部屋へ改称しました。現在は別々の師匠が率いる独立した部屋です。
Q5:放駒部屋は元大関・魁傑の部屋ですか?
A5:現在の放駒部屋と魁傑の旧放駒部屋は、組織の系譜が異なります。魁傑の部屋は1981年に創設され、2013年に閉鎖されました。現在の放駒部屋は松ヶ根部屋を前身とし、2021年に放駒の名称を襲名した部屋です。
Q6:2026年の放駒部屋には何人の力士が所属していますか?
A6:2026年11月場所の番付では11人です。幕内の一山本、幕下の島津海をはじめ、三段目や序二段にも所属力士がいます。
Q7:放駒部屋の所属力士で最も注目されるのは誰ですか?
A7:現在の幕内力士である一山本です。最高位は前頭筆頭で、突き・押しを得意としています。また、過去に幕内経験のある島津海の再昇進にも注目が集まります。
まとめ:放駒部屋は松ヶ根部屋から続く歴史ある相撲部屋
放駒部屋は、1990年に元大関・若嶋津が創設した松ヶ根部屋を前身とする、二所ノ関一門の相撲部屋です。
その歴史は、2014年の二所ノ関部屋への改称、2021年の放駒部屋への継承という二つの大きな転換点を経て、現在につながっています。
特に重要なのは、2021年に旧二所ノ関部屋と旧荒磯部屋の名称が入れ替わる形になったことです。現在の二所ノ関部屋は元稀勢の里が率いる部屋であり、元玉乃島が率いる放駒部屋とは別の組織です。
また、元大関・魁傑が率いた旧放駒部屋とも系譜が異なります。名称が同じでも、創設者や師匠、所属員の歴史を確認すれば、それぞれの違いが明確になります。
2026年は一山本を中心に、島津海や若手力士の成長が見どころです。若嶋津が築いた松ヶ根部屋の伝統を受け継ぎ、放駒新の指導のもとで次の関取を育てられるか。今後も放駒部屋の番付と所属力士の活躍に注目したいところです。
主な事実確認資料
- 日本相撲協会「放駒部屋・相撲部屋のご紹介」
- 日本相撲協会「令和3年12月24日 理事会発表事項」
- 日本相撲協会「2014年12月1日 名跡変更のお知らせ」
- 放駒部屋の前身・二所ノ関部屋公式沿革資料
- 日本相撲協会「一門に関する解説」「力士プロフィール」
- 日刊スポーツの2014年・2021年の部屋継承報道
(出典: 放 駒 部屋(Yahoo!ニュース))