琴風豪規の現在は?本名・東大関の成績から尾車部屋創設と復活秘話まで徹底解説
元大関・琴風豪規(ことかぜ ごうき)は、幕内優勝2回を記録し、引退後は尾車部屋を創設して豪風や嘉風らを育てた大相撲界の功労者です。2026年現在は「琴風浩一」の名でNHK大相撲中継の専属解説者を務めています。本名は中山浩一。現役時代の華々しい実績だけでなく、膝の大けがによる幕下転落、趣味の切手を売って治療費に充てた逸話、そして親方としての長年の指導歴でも知られています。
日本相撲協会の公式記録や引退後のインタビュー、2026年の関連記事をたどると、琴風の人生には、力士としての復活と指導者としての挑戦、さらに引退後の新たな活動という複数の転機がありました。ここでは、琴風豪規の経歴や大相撲成績、尾車部屋創設の背景、演歌歌手としての一面、現在の活動までを時系列で整理します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 本名と現在:本名は中山浩一。1957年生まれの元大関で、2026年現在は琴風浩一としてNHK大相撲中継の専属解説者を務める。
- 現役時代の実績:最高位は大関。幕内優勝2回、大関在位22場所を記録し、膝のけがによる苦境から復活した。
- 引退後の功績:1987年に尾車部屋を創設し、豪風や嘉風らを育成。演歌歌手としての活動や切手収集の趣味でも知られる。
【琴風豪規の現在】琴風浩一・中山浩一・尾車親方は同じ人物?
琴風豪規について調べると、「琴風浩一」「中山浩一」「尾車親方」という複数の名前が登場します。いずれも同じ人物に関係する名前ですが、使われた時期と立場が異なります。
日本相撲協会の公式プロフィールによると、琴風豪規は1957年4月26日生まれ、三重県津市出身。現役時代の四股名は琴風豪規で、本名は中山浩一です。引退後は年寄名跡の「尾車」を襲名し、尾車親方として後進の育成に携わりました。
2024年5月11日付で日本相撲協会を退職した後は、「琴風浩一」の名前で活動しています。2026年10月現在は69歳です。かつてのように相撲部屋を経営する立場ではなく、NHK大相撲中継の専属解説者として、長年の経験を生かして土俵の魅力を伝えています。
2024年11月10日、大相撲九州場所初日にNHKの専属解説者としてデビューしました。デイリースポーツなどの報道では、前夜は緊張して眠れなかったことや、実際の取組を見て改めて相撲の面白さを感じたことが紹介されています。
なお、「琴風豪規」と「琴風浩一」は別人ではありません。前者は現役時代の四股名、後者は相撲協会退職後に使用している名前です。また、「尾車親方」は琴風が長年名乗った年寄名であり、現在も琴風本人が親方として相撲協会に在籍しているわけではありません。
【経歴・年表】佐渡ヶ嶽部屋への入門から東大関への昇進まで
琴風の相撲人生は、三重県津市で育った少年時代にさかのぼります。相撲好きだった父親と佐渡ヶ嶽部屋との縁が、のちの入門につながりました。幼いころから部屋の力士たちと接する機会があり、中学生の時期に角界へ進むことになります。
日本相撲協会の公式記録では、初土俵は1971年7月場所。当初は「中ノ山」という四股名を名乗り、その後「琴風」に改めました。1975年11月場所に新十両、1977年1月場所に新入幕を果たし、着実に番付を上げていきます。
中学時代には学業成績が優秀だったという逸話も残っています。保健体育以外の教科で高い評価を得ていた学期もあったとされ、相撲一筋の力士という印象とは異なる一面を持っていました。
| 時期 | 出来事 | 主な実績・意味 |
|---|---|---|
| 1957年4月26日 | 三重県津市に生まれる | 本名は中山浩一 |
| 1971年7月場所 | 佐渡ヶ嶽部屋から初土俵 | 当初の四股名は中ノ山 |
| 1975年11月場所 | 新十両 | 関取への昇進を果たす |
| 1977年1月場所 | 新入幕 | 幕内力士として活躍を始める |
| 1981年9月場所 | 幕内初優勝 | 関脇で12勝3敗を記録 |
| 1981年11月場所 | 大関昇進 | 最高位は東大関を含む大関 |
| 1983年1月場所 | 幕内2度目の優勝 | 14勝1敗で優勝決定戦も制す |
| 1985年11月場所 | 現役引退 | 膝のけがなどを経て28歳で土俵を去る |
| 1987年3月 | 尾車部屋を創設 | 指導者としての第二の人生が始まる |
| 2022年2月 | 尾車部屋を閉鎖 | 所属力士らが他の部屋へ移籍 |
| 2024年5月11日 | 日本相撲協会を退職 | 年寄・尾車としての活動を終える |
| 2024年11月 | NHK専属解説者に就任 | 琴風浩一として新たな活動を開始 |
琴風の特徴は、左四つからの寄りや、相手の体を浮かせるように前へ出る「がぶり寄り」です。現役時代は身長183.5センチ、体重173キロの体格を生かし、力強い攻めで観客を沸かせました。
大関昇進を決定づけたのは1981年9月場所の初優勝です。関脇で12勝3敗を挙げ、場所後に大関昇進が決まりました。1983年1月場所には14勝1敗で2度目の幕内優勝を達成。優勝決定戦では朝潮を破っています。
【大相撲成績】幕内優勝2回、東大関まで上り詰めた実力
琴風豪規の実績を数字で見ると、幕内上位で長く戦い続けた安定感が際立ちます。日本相撲協会の歴代大関プロフィールによると、生涯戦歴は561勝352敗102休、87場所。幕内では395勝249敗80休を記録しました。
大関在位は22場所で、成績は212勝110敗8休です。幕内優勝2回に加えて、十両優勝1回、幕下優勝1回、殊勲賞3回、敢闘賞2回、技能賞1回、金星6個という実績を残しています。
ここで押さえておきたいのは、「最高位は東大関」という表現の意味です。日本相撲協会の公式記録における最高位は大関であり、琴風は東大関を務めた実績があります。横綱に昇進したわけではありませんが、幕内優勝を2度果たした名大関として相撲史に名を残しています。
1983年1月場所の14勝1敗は、琴風の力が最も鮮明に表れた成績の一つです。優勝を決めた後も高い水準の成績を残し、大関として存在感を発揮しました。一方、膝の故障は相撲人生を通じて大きな課題となり、強みだった前進力を支える体への負担も無視できませんでした。
この成績から見えるのは、単に優勝回数だけでは測れない実力です。大関として22場所を務め、幕内で通算395勝を挙げたことは、長期間にわたって上位で勝ち越す力があったことを示しています。
【膝のけがと復活】切手を売って治療費に充てた苦難の時代
華々しい大関時代の陰には、深刻な膝の故障と番付の低迷がありました。琴風は現役時代、膝のけがで幕下まで番付を落とす苦境を経験しています。関取から遠ざかった時期にも相撲を諦めず、再び土俵で結果を残したことが、その後の大関昇進につながりました。
この時期の逸話として知られているのが、切手収集のコレクションを手放した出来事です。琴風は子どものころから切手を集めており、珍しい切手も所有していました。しかし、膝のけがで幕下まで落ちた際、治療費を工面するため、大切にしていたコレクションを売却したと伝えられています。
本人は、思い出の詰まった品を手放すことに大きく迷ったものの、切手よりも相撲のほうが大切だったため売却を決断したという趣旨の説明をしています。関取に復帰してからは、再び切手収集を始めました。
そして1981年9月場所、関脇で12勝3敗を挙げて幕内初優勝。膝の故障による苦境を乗り越え、大関昇進を果たしました。この経緯は、琴風のキャリアを理解するうえで欠かせない転機です。
ただし、膝の故障を克服したからといって、けがの影響が消えたわけではありません。1985年5月場所には右膝に大きなけがを負い、大関から陥落。東前頭10枚目まで番付を下げた同年11月場所、28歳で現役引退を表明しました。
一度は幕下まで落ちて復活し、最高位の大関まで到達した一方、再び膝のけがに苦しんで土俵を去ることになった琴風。その歩みは、優勝記録だけでは見えない、長い相撲人生の厳しさを物語っています。
【尾車部屋創設の経緯】豪風・嘉風を育てた指導者としての功績
1985年11月に引退した琴風は、年寄「尾車」を襲名し、佐渡ヶ嶽部屋の部屋付き親方として後進の指導に当たりました。その後、1987年3月に独立して尾車部屋を創設。力士としての経験を、今度は弟子を育てる立場から相撲界へ還元していきます。
尾車部屋の運営で重視したのは、強い力士を育てることだけではありませんでした。相撲界に対する「厳しい」「荒っぽい」という印象を変え、社会から信頼される人間を育てたいという考えを持っていたと伝えられています。
部屋を立ち上げる際、尾車親方は妻に対し、弟子と実子のどちらか一方しか助けられない状況なら弟子を救うという趣旨の話をし、師匠としての覚悟を伝えたとされています。弟子の人生を預かる以上、親方自身が責任を負う。その考え方は、部屋経営の根本にありました。
尾車部屋からは、豪風や嘉風といった関脇経験者が育ちました。両者とも幕内で活躍した力士であり、琴風の指導者としての実績を象徴する存在です。2005年4月には、部屋の運営を断念した押尾川親方(元大関・大麒麟)の部屋を引き取るなど、部屋の垣根を越えて力士の受け皿となったこともあります。
一方、尾車部屋は永続したわけではありません。琴風が65歳の定年を迎える時期を前に、2022年2月7日付で閉鎖されました。所属していた力士らは押尾川部屋や二所ノ関部屋などへ移籍し、琴風自身も押尾川部屋付きの親方となりました。
2024年5月11日、日本相撲協会は年寄・尾車こと中山浩一の退職を発表しました。日刊スポーツなどの報道によると、琴風は再雇用後の任期満了を待たず、67歳で協会を離れています。これにより、長年続いた親方としての活動に一区切りがつきました。
【演歌歌手・切手収集家】土俵の外で見せた意外な人物像
琴風豪規には、力士や親方という肩書だけでは語り尽くせない一面があります。その一つが、演歌歌手としてレコードを発表した経歴です。
音楽情報を扱うCDJournalの人物紹介やレコード資料によると、琴風は1982年にシングル「まわり道」を発表しました。作詞はなかにし礼、作曲は三木たかし。カップリング曲には「酒季の歌」が収録されています。
さらに1984年には、石川さゆりとのデュエット曲「東京めぐり愛」も発表しました。現役の大関として土俵に立ちながら、演歌の世界でも活動していたことは、当時の琴風が幅広い分野で知られていたことを示しています。ただし、こうした歌手活動は過去の実績であり、2026年現在の主な活動はNHKの相撲解説です。
もう一つの趣味が、子どものころから続けている切手収集です。前述のとおり、膝のけがで苦しんだ時期には治療費のためにコレクションを売却しましたが、関取復帰後に収集を再開。1982年10月と1983年10月には、後楽園ゆうえんちで開催された秋の切手展でコレクションが展示された記録もあります。
切手は、琴風にとって単なる趣味の品ではありませんでした。けがで番付を落とした時期に手放し、相撲への復帰を経て再び集めるようになった経緯には、人生の節目が刻まれています。力士としての勝敗だけでなく、何を大切にし、苦境で何を選んだのかという視点から見ると、人物像がより立体的になります。
【2026年最新情報】NHK解説者としての活動と、もう一つの復活
2026年現在の琴風浩一は、NHK大相撲中継の専属解説者として活動しています。長年の現役経験に加え、尾車部屋で弟子を育て、日本相撲協会の理事や事業部長などの要職も経験した人物です。取組の技術的な解説だけでなく、力士の心理や部屋での指導経験を踏まえた見方を伝えられる点が、現在の仕事につながっています。
NHK専属解説者としてのデビューは2024年11月の九州場所でした。相撲協会を退職してから半年ほどで新たな役割を担い、土俵を離れても相撲に携わり続ける道を選んでいます。2026年8月の朝日れすかPLUSの記事でも、琴風はNHK解説者として紹介され、現役時代の膝のけがや指導者としての歩みが取り上げられました。
その記事で触れられた、もう一つの大きな転機が2012年の事故です。巡業部長を務めていた琴風は、福井県小浜市での巡業中に転倒して頸髄を損傷し、重い麻痺を伴う状態になりました。記事によると、厳しいリハビリを続け、床に寝た状態から立ち上がれるようになるまで約3年を要したとされています。現在も麻痺の症状が残っていると報じられています。
現役時代には膝のけがを乗り越えて大関に上り詰め、引退後には部屋を率い、さらに深刻な事故からも長いリハビリを経て復帰した琴風。相撲解説という現在の仕事の背景には、土俵上の成功だけではなく、幾度もの困難と向き合ってきた経験があります。
講演講師としても紹介されており、相撲界で培った経験を伝える活動も引退後の選択肢となっています。ただし、講演の実施日程や出演予定は随時変わるため、個別の予定については最新の案内を確認する必要があります。
【琴風豪規】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:琴風豪規の本名は何ですか?
A1:本名は中山浩一(なかやま こういち)です。現役時代は琴風豪規、引退後は年寄・尾車を名乗り、日本相撲協会退職後は琴風浩一として活動しています。
Q2:琴風豪規の現在の仕事は何ですか?
A2:2026年現在はNHK大相撲中継の専属解説者です。2024年11月の九州場所で解説者としてデビューしました。日本相撲協会は2024年5月11日付で退職しています。
Q3:琴風豪規の最高位と幕内優勝回数は?
A3:最高位は大関で、幕内優勝は2回です。1981年9月場所に関脇で初優勝し、1983年1月場所には大関として14勝1敗で2度目の優勝を果たしました。
Q4:琴風豪規はなぜ現役を引退したのですか?
A4:膝のけがが大きな理由です。1985年5月場所に右膝の大けがを負って大関から陥落し、同年11月場所に28歳で引退を表明しました。
Q5:尾車部屋は現在もありますか?
A5:琴風が創設した尾車部屋は2022年2月7日付で閉鎖されました。所属力士らは他の部屋へ移籍し、琴風も2024年5月に日本相撲協会を退職しています。
Q6:琴風豪規は演歌歌手だったのですか?
A6:はい。1982年に「まわり道」を発表し、1984年には石川さゆりとのデュエット曲「東京めぐり愛」も発表しています。現在の主な活動はNHK大相撲中継の解説です。
Q7:琴風豪規の趣味として知られるものは何ですか?
A7:切手収集です。膝のけがで幕下まで落ちた際には治療費のためにコレクションを売却しましたが、関取復帰後に再び収集を始め、1982年と1983年にはコレクションが切手展で展示されました。
まとめ:琴風豪規の歩みから見える、力士としての実力と引退後の生き方
琴風豪規は、佐渡ヶ嶽部屋で育ち、幕内優勝2回、大関在位22場所という実績を残した名力士です。膝のけがで幕下まで転落した苦境を乗り越え、最高位の大関まで到達した一方、再び膝を痛めて28歳で引退しました。
引退後は尾車部屋を創設し、豪風や嘉風らを育成。相撲界の指導者として功績を残しながら、演歌歌手や切手収集家という意外な一面も見せてきました。2022年の部屋閉鎖、2024年の協会退職を経て、現在は琴風浩一としてNHK大相撲中継の専属解説者を務めています。
琴風の経歴を振り返る際に大切なのは、現役時代の成績だけで人物を評価しないことです。けがからの復活、弟子の育成、そして自身も大きな事故とリハビリを経験したうえでの新たな活動まで、一連の歩みを見ることで、その強さと相撲への向き合い方が理解できます。
2026年現在、琴風浩一は土俵上で勝負する力士ではありません。しかし、長年の経験を持つ解説者として、相撲の技術や魅力を伝える役割を担っています。現役時代の実績と引退後の活動を合わせて見ることが、琴風豪規という人物を正確に理解するための手がかりになります。 (出典: 琴 風 豪 規(Yahoo!ニュース))